クリニック開業時、勤務医から開業医になる理由は色々でした。
正直なところ、当直業務に限界を感じた・・というのが一番だったかなと思います。
医者の当直は翌日は休める訳ではないので、たまたま急患患者さんが大勢来られたらほぼ眠れず、翌日も業務は普通に行います。
なので若いうちは数日で体調は元に戻ったのですが
40歳を過ぎて1週間経っても体調が戻らないなんて事が出てくるようになりました。
ただ当直がない勤務医という選択肢もあったので、敢えて開業医を選んだ理由は
神経内科医としてもうちょっと患者さんを診療したいという気持ちがあったからのように記憶しています。
どういうことかと言いますと、神経内科医が診療する患者様は体が不自由になられる事が多いのです。
そうすると通院がままならなくなってくる方が増えてきます。
その時に勤務医として訪問診療をしている総合病院というのはほとんどないので
地元の先生方にお願いして患者さんのその後をゆだねることになります。
そこが何とも悲しく感じるようになっていました。
どの患者さんの事も忘れることはできませんが、
私が自分のおばあちゃんのように慕っていた患者さんがいました。
残念ながらその方は数年前に亡くなりましたが、
滋賀県の総合病院に勤務を始めた第一号の主治医を務めた患者さんで、
本当に私の事を信頼して下さるものすごく懐の大きい方でした。
ちょうどその方が別の科に入院されていた時、病室を訪問して
その方に「〇〇さん、私ねここの病院をやめるんです。」と伝えた時に物凄く悲しい顔をして「先生、京都に帰らはるんか?」と。
私が「ううん、私、このすぐ近くで開業することにしたの。だから〇〇さんが病院に通いにくくなったら私往診しますからね」と伝えると
そのおばあちゃんは泣いて「先生、そうか、、守山の人になってくれはるんか。嬉しいわ。」と。
そして私が開業したその日に花を持って、物凄く腰痛がひどかったのにタクシーで駆けつけてくださったんです。
私の開業医人生はその方の往診とともにありました。
お身体が不自由で外出がままならないので、その方が昔東京に出かけた話。京都の美味しいお店の話。昔の話。それはそれはいろんな話をその方のおたくでさせていただきました。
きっと私は自分の祖母よりもその患者さんと話をした時間は長かったんじゃないかな?と
いうほどです。
亡くなられた時は悲しかったです。もっともっと長生きして欲しかった。
私にとって訪問診療はそんな位置付けです。
高齢化社会に伴い、通院が難しくなる方も増えています。
独居の方が通院するとは中々大変なことなんです。
その私の主治医第1号の患者さんは私のおばあちゃんだった訳ですが
今でも私の別のおばあちゃん、おじいちゃん、お姉さん、お母さん、お父さん、お兄さん、友達、年下の兄弟、子供のような存在がたくさんいます。
訪問診療はそんな大切な家族に会いに行く、そんな時間です。
なるだけ患者さんが安心できるように、苦痛がないように。できるだけ患者さんが幸せに
過ごせるように。
むしろ私が患者さんからいっぱい幸せをもらって生きているような気がします。
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