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愛おしい義妹が天国に

執筆者の写真: 尾柳知佐子尾柳知佐子

今年の初め、53歳の若さで義妹が天国へ旅立ちました。膵臓癌でした。

頻繁に連絡を取り合うわけではないですが、私が父と暮らしていることもあり

父の誕生日や父の日など何かあると家族で来てくれて、父とちょっとしたお出かけを

提案してくれるような優しい弟夫婦でした。


12月初めに仕事中に連絡などしてこない弟から電話がありました。

とてもとても嫌な予感がして、すぐに電話をかけましたがつながらず

そうこうしている内に、「妻が肺や肝臓に転移している膵臓癌かもしれない」とメッセージが届きました。

私はクリニック内で膝が崩れてしまいました。泣きました。

その後泣きながら弟と電話で話をしました。

「お姉ちゃん、ごめんな。お姉ちゃんまで動揺させてしまって」と弟は言いますが

1人で病院に行かせた妻への申し訳なさと、病名のインパクトで弟も動揺していたと思います。

その後すぐに義妹に電話。泣いていました。当然です。別の慢性疾患を持っていて定期的に病院に通院し毎月採血をしていたこともあり自分に大きな病気があるとは思ってもいなかったと思います。

私は彼女が病名を告げられた12月7日から私がサブの主治医になって彼女のこれからの治療になんとか少しでも何かできたら・・と心に決め、「悪いところがあったら治して行こう。もう後ろを振り返らず一つ一つ悪いところを治して、体が少しでも楽になるように治療してもらおう」と伝えたことを覚えています。


ただ彼女の病状は本当に深刻で12月の8日に造影CTをとったときには、肺への転移巣もあり、一部胸水、そして肝臓に多発性の転移でした。

とりあえず信頼できる大学病院の予約を取り検査入院をしたのが12月の途中の週でした。私は1日でも早い入院を望みましたが、コロナ対応などもあり即日入院などは無理でした。

でも即日入院にならなかったおかげで、彼女が楽しみにしていた娘の成人式の前撮りに出かけることができました。

膵臓癌で、お腹も背中も痛く、便も出ずらく食事もあまり取れなくなっていたその状況なのに、とても優しい柔和な笑顔で家族で写っている写真。

遺影の写真はその時のものです。

曇りのない笑顔でニコッと私たちに笑いかけてくれているのです。


京大で胃カメラやら再度造影CTが行われ、入院の翌日に呼び出しがありました。

弟、義妹、そして私の3人で話を伺いました。

主治医の先生は本当に苦しそうに、、悲しそうに、、言葉を選んでお話をしてくださいました。

もう打つ手がない状態であり、化学療法を始めたらもう家には帰れない。

がんがお腹中に広がっていて、家で過ごす時間も限られるかもしれない・・今なら家に帰られるかもしれない・・・。


それを聞いていた私は「最悪の結果だ」と力を落とし、弟は話の内容がよく理解できずに呆然としていました。

でも義妹は淡々と「化学療法をしてしんどくなって結局家に帰れないのなら、すぐに家に帰りたいです。残りを家で過ごしたいです」と一番落ち着いて皆に気を遣いながらそう答えました。

私は義妹の手を取って号泣しました。「ごめんね、ごめんね、本当にごめん。治してあげられへんかった。治すって約束したのに治してあげられへんかった」義妹は「お姉さん、ありがとうございます。今日はお姉さんも一緒に話を聞いていただけて、お姉さんの顔が見れて嬉しかったです。私家に帰ってなるだけ普通に過ごしたいです」


その数日後に地域連携を通して正月明けの医療体制を整えるべく準備を整え12月28日に自宅に帰ってきました。

「やっぱり自宅はいいわぁー」と喜び、その頃には急激に悪くなっていった腹水と両下肢の静脈血栓によるひどい浮腫で歩くのも大変になっていましたが、今まで寝ていた寝室になんとか上がりその日は姪がお母さんの足をマッサージしてあげているうちに「久しぶりによく眠れた」と連絡があり嬉しかったです。


でも食事はほとんど取れない状態となり、腹水で臥位になることもつらくてずっと過ごしていた彼女は泣き言を言わずにじっと大好きな髭ダンを聴きながら過ごしていました。

私にできるのは水分補給に点滴をしたり、彼女が口にできそうな医療食品などの差し入れをすること位でした。


でも神様はあまりにも残酷で、日に日に彼女の体を蝕み、1月をすぎたあたりから立てなくなり歩けなくなり、そして1月5日の晩、呼吸状態がおかしいと弟から連絡があり駆けつけた時は下顎呼吸になっており、それでも私の顔を見て「お姉さん、大好き」と言って

皆に感謝のありがとうを言い続けて旅立っていきました。


結局在宅診療、訪問看護の段取りをしようとしていた日の夜に亡くなってしまいました。

あっという間の出来事でした。

私たちの前からあの愛しい女性はいなくなってしまいました。

最後の日、姪っ子は救急車で病院に言って欲しいとお願いしていました。でも義妹は私に「お姉さん、私家にいたい」と。そして弟も「僕は家で看取りたい」と。

義妹の大切なものは家族でした。家族と穏やかに過ごせることを何よりの幸せと感じていた人でした。その人たちと住み慣れたお家で最後の時を迎える。

それを叶えたくて私もそれを承知しました。


いまだに義妹を思うと涙が出るのですが、彼女がどんどん弱っていき私たちの前で息を引き取った事の残酷な光景は心からは無くなりはしません。


でも私は彼女のように住み慣れた自宅で、愛おしい家族がいる場所で最後の時を迎えたいという人がきっとたくさんいるはずだろうと思います。


大切な人の最後に立ち会って、やっぱり私も医者として患者さんの最後をできれば見取らせていただきたいと思うようになりました。





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